【単位の話】加賀百万石!って何がどのくらい?
加賀百万石
ところで「加賀百万石(ひゃくまんごく)」って良く聞きますけど、一体どういう意味なんでしょうね?レイ子さん。
加賀藩前田家と石川県
1585(天正13年)…藩祖前田利家と嫡子利長が、織田信長や豊臣秀吉との関わりの中で戦功をあげ、加賀・能登・越中の三国にまたがり100万石を領する、前田家領の原形が形成。
1599(慶長4年)…利家の死。兄弟での領地分割。
1600(慶長5年)…関ヶ原の戦いのゴタゴタを経て、嫡子利長が120万石に及ぶ所領を獲得。
ちなみに加賀・能登が現在の石川県で、越中というのが富山県だと思ってもらえればいいわ。
1863(文久3年)…明治(1868~)直前の幕府大目付調べによる石高ランキングでもダントツトップの120万石。
1871(明治4年)…廃藩置県によって金沢県となり、まもなく石川県を構成。
1883(明治16年)…富山県が設置され、現在の石川県が確定。
でも、広いだけなら、広大な大地で牛さんが「モ~ 」みたいなイメージもあるし。そもそも山の多い日本で同じ広さと言っても、色んな土地があるわよね。
加賀百万石って言ったら、もっとこう、人が元気というか賑やかというか…。ねえ、ゴクの助さん!
お米の容量を表す単位「石」「斗」「升」「合」
1石(こく)=10斗(と)=100升(しょう)=1000合(ごう)
365日毎日食べたとして×3合=1095合…あっ!
もしかして、1石のお米って「一人の人が一年間に食べるお米の量」を表しているんじゃないかしら?
日本で昔から使われてきた尺貫法で、体積・容量を表す単位が「石」「斗」「升」「合」なの。
武士や商人はどこ行った?
土地の評価
検地(けんち)
その徴税の基礎資料として土地の評価をすることを「検地(けんち)」と言って、昔から行われてきたのよ。
※年貢制→地租制に伴って廃止。
今ではお金で色んな価値が評価されるけど、昔はそこまでお金が流通していなかったこともあるし、お金の歴史をのぞいて見るのも面白いかもね。
ちなみに、だいたい1石のお米が採れる田んぼの広さが「1反(たん)」≒1000㎡と決められたのよ。
石盛(こくもり)
等級に応じた1反当りの標準収穫量のことを、土地に石高(こくだか)を盛り付けるという意味で「石盛(こくもり)」と言います。
江戸幕府の石盛の基準はこのようになっていたそうです。
上田 | 中田 | 下田 | 上畑 | 中畑 | 下畑 | 屋敷 |
じょうでん | ちゅうでん | げでん | じょうばた | ちゅうばた | げばた | やしき |
一石四斗 | 一石三斗 | 一石一斗 | 一石一斗 | 九斗 | 七斗 | 一石一斗 |
例えば畑でも、中畑が5反あったとしたら×9斗=45斗=お米で4石5斗の石高(価値)がある土地。という計算になります。
だから、幕府の基準はあるにせよ、その地その地で石盛の等級の段階や値にはバラつきがあって、それらを考慮して算出していたらしいわ。
平等そうには聞こえるんだけど、もし役人がアホだと「この土地なら(紙の上では)こんくらい取れるはずじゃぁ!年貢よこせ!」って感じにもなるよなぁ。
そりゃ~一揆も起こったわけだ。
まとめ
良くわかったわレイ子さん。
そうであって欲しいし、そうでなければ三百年近くも続いたとは思えないしね。
お茶の間会議
1合がだいたい150gだから、1石だと150㎏の計算になるわね。(※以下玄米で計算)
お米農家さん達の話では反収9俵とか10俵とか聞くわ。ずいぶん差がありますね。
ちなみに石の助さん、最初の年はどのくらい収穫できたんですか?
約600㎡の田んぼで90㎏だったから、1000㎡≒1反で反収計算するとちょうど150㎏なんだよな。