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【単位の話】加賀百万石!って何がどのくらい?

2019/06/17
 
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百姓アラカルト
さーちゃん
石の助さん、いよいよ「百姓アラカルト」始まりましたね!
石の助
おっす!オラ石の助!
さーちゃん
このコーナーでは、農業だけではなく色々な分野の、素朴な疑問をテーマに語り合っていきたいと思ってます。
ちきゅ丸
そう!地球温暖化とかの環境問題もね!
石の助
出たなちきゅ丸!もっと名前ひねれよ。
ちきゅ丸
い~じゃん!気に入ってんだから、ねえ、レイ子さん!
レイ子さん
ウフフ、そうね。4人みんなで仲良く頑張りましょ。
さーちゃん
ちきゅ丸よろしくね!レイ子さんもよろしくお願いします!
石の助
4人って…ちきゅ丸お前…

 

 加賀百万石

さーちゃん
石の助さん、3年目に突入した北陸はいかがですか?
石の助
ひゃくまんごくは~ひゃくま…
さーちゃん
はい!ありがとうございました!

ところで「加賀百万石(ひゃくまんごく)」って良く聞きますけど、一体どういう意味なんでしょうね?レイ子さん。

石の助
ひゃくまんごくは~ひゃ…
レイ子さん
はい!じゃあ早速そのルーツを見ていきたいと思います。ちきゅ丸よろしく~
石の助
ひゃくま…
ちきゅ丸
オッケー!じゃぁいくよ、逆回転~!

加賀藩前田家と石川県

1585(天正13年)…藩祖前田利家と嫡子利長が、織田信長や豊臣秀吉との関わりの中で戦功をあげ、加賀・能登・越中の三国にまたがり100万石を領する、前田家領の原形が形成。

1599(慶長4年)…利家の死。兄弟での領地分割。

1600(慶長5年)…関ヶ原の戦いのゴタゴタを経て、嫡子利長が120万石に及ぶ所領を獲得。

レイ子さん
江戸時代のちょっと前まで遡ってみたわ。ザックリ言うとこんな感じね。

ちなみに加賀・能登が現在の石川県で、越中というのが富山県だと思ってもらえればいいわ。

石の助
広いぞそれ! さすが百万石!
レイ子さん
しかも、この後三百年近くも続く江戸時代で、この原形は殆ど変わらないのよ。

1863(文久3年)…明治(1868~)直前の幕府大目付調べによる石高ランキングでもダントツトップの120万石。

1871(明治4年)…廃藩置県によって金沢県となり、まもなく石川県を構成。

1883(明治16年)…富山県が設置され、現在の石川県が確定。

さーちゃん
なるほど~。

でも、広いだけなら、広大な大地で牛さんが「モ~ 」みたいなイメージもあるし。そもそも山の多い日本で同じ広さと言っても、色んな土地があるわよね。

加賀百万石って言ったら、もっとこう、人が元気というか賑やかというか…。ねえ、ゴクの助さん!

石の助
ゴ!誰がゴクの助じゃ!
レイ子さん
そうなの、その「石」ってのが大事なの。

 

お米の容量を表す単位「石」「斗」「升」「合」

1石(こく)=10斗(と)=100升(しょう)=1000合(ごう)

レイ子さん
お米3合ってイメージわくわよね?
石の助
そうだなぁ、3合炊きの炊飯器で一日分のイメージかな。オレ2食で食べるけど。
さーちゃん
そうですね。だいたい一人一日分のお米って感じかしら。

365日毎日食べたとして×3合=1095合…あっ!

石の助
どうした、さーちゃん!3合じゃ足りんかったか!?
さーちゃん
違うわよ! 失礼ね!

もしかして、1石のお米って「一人の人が一年間に食べるお米の量」を表しているんじゃないかしら?

石の助
なるほど!そうすると百万石ってのは100万人を養えるというわけだ!人口100万人!
レイ子さん
二人ともさすが。なんとなくイメージわいてきたわね。

日本で昔から使われてきた尺貫法で、体積・容量を表す単位が「石」「斗」「升」「合」なの。

石の助
一升瓶とか一斗缶なんて今でも使われてるもんな。
さーちゃん
う~ん、でもこれだと百万石って全部の土地が田んぼで、みんなお米しか食べない計算になっちゃうわね。
石の助
見渡す限りの田んぼに100万人が住んでいた…ありえねぇ。

武士や商人はどこ行った?

 

 土地の評価

検地(けんち)

レイ子さん
石の助さん「固定資産評価証明書」って見たことあるわよね。
石の助
所在地ごとに「田」「畑」「宅地」なんかの地目が決まってて、面積と評価額が書いてあるやつでしょ。
レイ子さん
そう。明治になってから地価に課税する地租制が導入(地租改正)され、固定資産税を払う仕組みになって今に至るんだけど、それまではその土地の農業生産高に課税されていたのね。

その徴税の基礎資料として土地の評価をすることを「検地(けんち)」と言って、昔から行われてきたのよ。

※年貢制→地租制に伴って廃止。

さーちゃん
あ、太閤検地!豊臣秀吉!
石の助
年貢!米!
レイ子さん
そう!その評価基準こそが「お米だったらどのくらい収穫できるか」ということだったの。

今ではお金で色んな価値が評価されるけど、昔はそこまでお金が流通していなかったこともあるし、お金の歴史をのぞいて見るのも面白いかもね。

ちなみに、だいたい1石のお米が採れる田んぼの広さが「1反(たん)」≒1000㎡と決められたのよ。

石盛(こくもり)

等級に応じた1反当りの標準収穫量のことを、土地に石高(こくだか)を盛り付けるという意味で「石盛(こくもり)」と言います。

江戸幕府の石盛の基準はこのようになっていたそうです。

上田 中田 下田 上畑 中畑 下畑 屋敷
じょうでん ちゅうでん げでん じょうばた ちゅうばた げばた やしき
一石四斗 一石三斗 一石一斗 一石一斗 九斗 七斗 一石一斗

例えば畑でも、中畑が5反あったとしたら×9斗=45斗=お米で4石5斗の石高(価値)がある土地。という計算になります。

レイ子さん
さっきさーちゃんが言ったみたいに、同じ広さでも肥沃な土地もあれば、そうでもない土地もあるし、そもそも全国どこでも同じ収獲量なんてありえないわよね。

だから、幕府の基準はあるにせよ、その地その地で石盛の等級の段階や値にはバラつきがあって、それらを考慮して算出していたらしいわ。

石の助
う~ん、なんだかなぁ。

平等そうには聞こえるんだけど、もし役人がアホだと「この土地なら(紙の上では)こんくらい取れるはずじゃぁ!年貢よこせ!」って感じにもなるよなぁ。
そりゃ~一揆も起こったわけだ。

さーちゃん
お代官様~…お役所様~(笑)
レイ子さん
結局、石高制で表されている数字はその地の生産能力を表しているわけなんだけど、その地に住む人の開拓魂や活気、為政者の人格まで見え隠れしてくる気がするわね。

 

 まとめ

さーちゃん
加賀百万石って、そういう計算で成り立っていたのね!

良くわかったわレイ子さん。

石の助
農家さんだけじゃなく、漁師さんや工芸師さん、武士や商人もみんな元気で活気のある国だったというわけだな。
レイ子さん
もちろん、裕福な人なんてごくわずかだったと思うけど、きっと色んな人が色んな場所で、自分の役割に誇りをもって生きてたんじゃないかしら。だからこそ昔からの伝統や文化がしっかりと残っているのよ。

そうであって欲しいし、そうでなければ三百年近くも続いたとは思えないしね。

石の助
これからもそうでありたいな。
さーちゃん
この北陸は見どころ一杯だけど、そんな歴史を感じながら巡るのもいいですね!加賀百万石万歳!

 

 お茶の間会議

石の助
ところでさぁ、1石のお米が一人一年間のお米の量で、そのくらい取れる広さが1反って話だったよな?
さーちゃん
そうでしたね。
石の助
それって今で言ったら具体的にどのくらいの量になるんだろ?
さーちゃん
あ、そうか!

1合がだいたい150gだから、1石だと150㎏の計算になるわね。(※以下玄米で計算)

石の助
すると、1俵が60㎏だから、1反当りの反収2.5俵ってことになるよな。
さーちゃん
あ、確かに!

お米農家さん達の話では反収9俵とか10俵とか聞くわ。ずいぶん差がありますね。

石の助
反収3俵だの4俵だので少ないって笑われるけどさあ、昔はこれが標準だったんだな。
さーちゃん
まあ、それは確かに品種改良や機械化、栽培技術の向上とか色んな要素がありますからね。昔は農薬もなかったでしょうし。

ちなみに石の助さん、最初の年はどのくらい収穫できたんですか?

石の助
そうなんだよ。
約600㎡の田んぼで90㎏だったから、1000㎡≒1反で反収計算するとちょうど150㎏なんだよな。
さーちゃん
…もしかして石の助さん、江戸時代からタイムスリップしてきました?

 

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